第1回(10/13)裁判での

口頭意見陳述

20161013

 

意見陳述

 

 

 

  原告の鈴木正廣です。意見陳述の機会を与えて頂きありがとうございます。

 

 

 

1、佐原光一豊橋市長を被告として訴訟に踏み切った理由・原点

 

  まず、第1に、今回130人の市民が原告となり、佐原光一豊橋市長を被告として訴訟に踏み切った理由・原点について述べます。

 

  佐原市長は、ユニチカ豊橋事業所跡地(以下、跡地という)の売却に係わる経緯について市民はもちろん、市議会議員にも全く知らせなかった。この市民無視、議会軽視は、主権者として、地方自治のあり方から考えて、到底許しがたい。これが訴訟に踏み切った理由・原点です。

 

  これだけ多くの市民で原告団が結成され、豊橋市長を被告として提訴した事案は豊橋市政110年の歴史上初めての事です。いま、多くの市民が、裁判の行方がどうなるか、注目しています。

 

 

 

2、高師原地区入植とユニチカ豊橋事業所跡地

 

  2に、大日本紡績(現ユニチカ)が立地した高師原地区への開拓農民の入植と跡地処分についてです。跡地は戦前、陸軍第15師団の高師原演習地の一部でした。高師原地区への入植登録は、戦争直後、昭和2010月に開始されています。入植は公募でしたが、軍人、軍属が優先され、引上げ者、被災者等は天白、大清水、岩西など遠方地区への入植となっています。入植者には一町歩(3,000)と屋敷一反(300)が割当てられ、「一反当たり、豆腐1丁」というわずかなお金で入植できたと、当時を良く知る方にお聞きしました。しかし、開拓の厳しさに耐え切れず多くの人が挫折しています。作物が収穫でき、安定した生活を得るまでかなりの年月を要したからです。

 

  跡地に隣接する弥生町、私の住所地ですが、昭和26年当時、弥生町という地名はあったが、「弥生町官有地」で昭和36年頃、「官有地」がとれて土地の登記ができたということです。高師原跡地の登記は昭和281225日ですので、大日本紡績を誘致するための特別な措置だったのです。

 

  また、昭和26年当時、大日本紡績誘致のために、豊橋市は入植者から一反当たり5万円で土地を買収したと、大変な話題となったとのことです。この金額は、跡地総面積27万平方㍍に換算すると、1,350万円となりますので、当時の豊橋市議会議事録に記載されている金額とほぼ同額ですから、信憑性が高いと思います。

 

  戦後、ずっと跡地周辺で暮らしている方のお話は、「あの土地を売買するには議会の決議がいると聞いている」「市は何をしていたのか、市に返すのが当然だ」等々、市当局の対応への批判が相当強くあります。また、議会答弁で、「土地売却は、ユニチカの経営判断であり、特段説明する必要ない」と、議員の質問をはねつけたことに対して、「戦後の入植者の苦労をどう考えている」と、怒りを込めたお話もお聞きました。

 

 

 

3、公文書公開請求で明らかとなったこと

 

  3に、公文書公開請求で明らかとなったことについてです。

 

  私は、今年に入って、2度にわたって公文書公開請求をしました。「ユニチカが豊橋市長に提出した4項目の文書」が初めて市民に公開されたのです。この文書は土地売却する一年前、平成26109日付です。4項目内容は、①平成273月末までに、豊橋事業所全体を閉鎖すること。②閉鎖に前後して、豊橋事業所は、再開発を前提とする第三者に売却したいこと。③敷地の売却は、三菱UFJ信託銀行をアドバイザー兼仲介者として執り行うこと。④今後、敷地の売却及び開発を行うにあたり、豊橋市様にご相談させて頂きたいこと、というものです。

 

  この書面から、明らかにユニチカは昭和26年の契約書第12条、第13条及び昭和41年の疑義事項協議書を念頭において豊橋市に相談を持ち掛けていると思われます。

 

  これに対して、今年61日、佐原市長は記者会見で、「社長と面会したが、これまでのお礼をされただけで跡地の処分については相談を受けなかった」と、説明したと新聞報道がなされています。しかし、面会は、「ユニチカの4項目文書」が提出された20日後、平成261029日です。市長応接室でユニチカ社長と面会した際、当然、「4項目文書」の内容が話し合われた、と考えるのが自然です。

 

  跡地売却に至る流れを見ると、この最初の時点で佐原市長のとった姿勢がどうだったのか、何故跡地の売却を許容したのか、その理由を明らかにすることが極めて重要と思います。公文書公開請求等で知り得た資料からみると、平成261029日の「面会」は、跡地売却の最大のキーポイントになったと思われます。

 

 

 

4、ユニチカ豊橋事業所跡地は、市民の財産

 

  最後に、跡地は、市民の財産であり、市当局の「一部返還論」の見解は到底認めることはできないことを簡潔に述べます。

 

  豊橋市と大日本紡績株式会社(現ユニチカ)で交わした契約書第12条は、「甲(ユニチカ)は将来(中略)敷地の内で使用する計画を放棄した部分は之を乙(豊橋市)に返還する」としています。この文書を素直に読めば、敷地を使わなくなれば、それが一部であれ全部であれ、豊橋市に返還しければならないというのが自然かつ当然です。

 

 

 

  以上、意見陳述とします。ありがとうございました。